現在は夏期講習中。
講習期間の全体からすれば、
ちょうど折り返し地点。
ここまでで、
毎日塾通いの日々になっている、
そんな生徒ほど、
学習の積み重ねができており、
その「積み重ね」によって、
自らの成長を実感する。
だから、
夏期講習は貴重な体験。
「なあんだ、それなら…」
そう単純に考えて、
「毎日塾に行けばいいじゃん!」
これが落とし穴。
毎日行くことで希少価値が、
なくなれば「惰性」となる。
塾の自習室で、
学校の宿題をするだけになる。
それで学力が向上することは、
(高校生なら)ほとんどない。
戦略的思考がもてるように、
北斗塾では指導する。
※高校生以上に。
戦略的思考は、
戦略的指導を受けるからこそ、
身につけることが可能。
「戦略的思考」をもつ高校生は、
ほぼ存在しない。
※全然いないわけではない。
(200人中1人いるかどうか)
ビジネスレベルで見ると、
その200人中1人の生徒でも、
やっていることは幼稚なレベル。
当然だ。
「戦略」は、
学校で習うものではないからだ。
学校の先生はどうか?
学校の先生たちが有するものは、
戦略ではなく「方針」。
文科省が定めた指導要領がそれ。
だが、
その中身は具体性に欠け、
抽象的説明となっているので、
各先生の指導方針は、
我流となっているようだ。
その証拠に、
「スーパーティーチャー」
などという存在がいる。
※地元の新聞に掲載されていた。
「スーパーティーチャー」とは、
一体、何者か?
その存在に多くの先生が、
「授業のやり方・工夫の仕方」
を学ぶらしい。
さて、
「スーパーティーチャー」とは、
「スーパー(super)」なのだろうか?
私も多くの先生たちにお世話になった。
大学生時代には、
「私は湯川秀樹先生の弟子である」
などと自慢する退官前の教授もいた。
その「退官前」の教授ともなると、
「スーパーティーチャー」なのか?
私の勝手な定義では、
「スーパーティーチャー」とは、
生徒が心からそう思うような、
教え方が上手いのは当然の、
人格者である存在。
人が人から学ぶとき、
それは単なる知識の伝達ではない。
「伝達」だけなら、
参考書でも、
先生の代わりになるではないか。
生徒という存在は、
社会経験が未熟なため、
いつでも不安定である、
学力的にも精神的にも。
知識の伝達だけではない何かが、
先生から生徒に伝わり、
生徒の中で「化学反応」が起こり、
それが生徒の成長につながる。
そんな先生が、
「スーパーティーチャー」だろう。
私はそう思う。
※ドラマならGTOか(笑)

