しかしながら、
世の中の人間関係でもそうだが、
専門家と素人で対話しても、
「専門家の話が正しい」という前提で、
話は進む。
典型的な例は、
場所が病院であれば、
医者と患者である。
医者が「●●ですよ」
そう言って、
患者が「それは違いますよ!」
と反論するだろうか?
ほとんどしないと思われる。
相手は専門家なのだから、
「言っていることは正しいはず」
というふうになることがほとんど。
この関係性は、
専門家と素人の場合だけではなく、
大人と子どもの場合でも当然に起きる。
大人と子どもといっても、
それが親子関係であれば、
子どもの成長具合によって、
一方的だったものが互角になり、
反転する場合もある。
反転する場合は、
子どもが親よりも優秀な可能性が高い。
何をもってして優秀なのかは、
いろいろな基準があるから、
一概には言えないが、
立場が反転するくらいだから、
子どもの口が達者なことは疑いない。
私が危惧していることは、
先生と生徒の立場というものは、
一般的には上下関係が成立しているため、
先生が言うことが正しくて、
生徒がそれに従うことは当然。
そういう価値基準でものごとは進んでいく。
教科の内容だけならまだしも、
子どもの人生観的なものまでも、
先生の言動によっては生徒に、
大いに影響する。
いい影響も悪い影響も。
そういう事実があるということは、
保護者である親御さんたちは、
もっと認識するべきではないかと思う。
例えば、
学校の先生よりも塾の先生の方を信じる。
こういう親御さんたちも多いと思うが、
「先生」
という肩書だけで無条件に信じてはならない。
それは学校の先生であっても、
学習塾の先生であっても、
予備校の先生であってもだ。
わが子の指導者の人格的な面を見抜く眼力、
これを親御さんたちは持たなければならないし、
持っていない場合は相当に危険である。
誰が危険な目に合うかは言うまでもない。
学校の担任の先生でも、
部活動の顧問でも、
学習塾の講師でも、
学習塾の責任者でも、
「当たりはずれがある」
ということは普通に考えて現実だろう。
塾や予備校の合格実績に目を奪われて、
わが子の担当となる先生を、
無条件で信用して、
言っていることもすべて信じ込むことは、
私の知っている範囲で言えば、
けっこう危険なことだと、
個人的には思っている。
(続く)