成績不振に陥っている生徒。
そのほとんどの生徒の特性において、
明らかに「自立型」の要素が少ない。
成績の良い悪いは、
中学生時代まではごまかせるが、
高校生のときの成績(模試)に、
はっきりと出てくる。
本当の成績(真の学力)。
それは定期テストでは出てこない。
全国規模の模試になってはじめて、
その生徒と親御さんの目の前に、
リアルなものとして出現してくる。
定期テストの結果で「いい悪い」は、
じつは正確には判断できないのだ。
「頭がいい人が成績がいいのでは?」
そう思う人が大半だと推測するが、
実際に言われるところの、
「頭がいい」
は不明瞭なもので不確実なものだ。
学校のテストの成績が良ければ、
「頭がいい」
と言われがちだ。
だがその評価はその生徒の、
ある一面を表しているに過ぎない。
例えばの話だが、
ここにテスト範囲表があるとしよう。
それも社会だとする。
かつ初期条件としては、
それぞれの生徒がその内容に関して、
今までに見たことがないものとする。
つまり知識ゼロでの勝負ということ。
この範囲の勉強を5時間するAさんと、
1時間だけするBさんがいた場合。
どちらがいい成績をとるだろうか。
結果だけ見ると、
Aさんが90点でBさんが65点だった。
こんなケースは山ほどある。
特に中学生の定期テストの結果において。
この場合の評価は、
Aさんが優秀で、Bさんはふつうとなる。
ところが、
Bさんがもしも5時間ではないにせよ、
3時間勉強したとする。
その結果、
とれた点数が100点だった場合は、
どう評価するのか?
本当にBさん(65点:1回目)より、
Aさん(90点)の方が優秀だと、
比較して言えるのだろうか?
「頭がいい」
その言葉には、
「もともと」とか「生まれつき」とか、
そういう場合もあれば、
「テストの結果が良い」などの、
目に見えるものでの評価がある。
塾長として現場で30年以上やってきて、
このようなことには多く直面してきた。
頭がいいかどうかで入試の合否が決まる、
そんな単純なものではない。
地頭の良い生徒はたしかに存在する。
しかし、
結果を出せるかどうかは別問題なのだ。
繰り返すが、
別問題なのだ。
(続く)