2月の後半にさしかかる頃、
私は講演をすることになっている。
オンラインで全国各地の塾長さん相手に。
その際に、
どんな質問が出てきそうかということで、
今日の午後に主催者の方たちと打ち合せがあった。
予想される質問の中に、
「やる気のない生徒に指導するにはどうしたら?」
そんな質問があった。
ちょうど昨日のブログでも述べたが、
私の目の前に毎日1人の男の子がいる。
まあ目の前と言っても同じ部屋にいるということ。
その生徒は私との約束である「英単語の練習」を、
ノートに書いてきていた。
1ページだ。
それをするのにおよそ30分はかかるはず。
つまり、
昨日は最低でも30分は勉強をしている。
それ以外にプラスアルファはあるのか?
聞いてみると、
合計で2時間は勉強をしているとのことだった。
「…、ふふふ、やるじゃないか」
「あ、でも途中でギブアップしました」
「あ、そう」
Sくんと私の会話である。
「ギブアップ」とは何か?
それは私が彼に言っておいた「特権」のことだ。
「もうムリだと思ったら…やめろ」
そういう「特権」のことだ。
結構な量のプリントを自分で印刷して、
自宅に持って帰る。
その量は多いが、
中身はと言えば中学1年生の内容。
Sくんは高校生である。
決して難しいわけではない。
ただし、量が多い。
1時間半はかかるであろう量。
私にはそれがわかっている。
だから、
まじめにやろうとすれば合計2時間かかる。
それでも終わらない可能性もある。
そのときは「特権」を行使するわけだ。
しかし、
その特権は塾内で使うわけではない。
どこで使うのか?
自宅で使うわけだ。
誰に許可をもらうのか?
自分自身に許可をもらうのだ。
勉強することを止める許可。
ここが大事なところだ。
そこそこ使命感や責任感をもつ講師は、
「生徒のことを考えて」
と言いながら大量の宿題を出したり、
「1日にこれだけやるように!」
とノルマを設定してしまう。
それで生徒が頑張っても、
それは「強制された」ということになる。
それでは「自立心」は育たない。
一時的に学力が上がるように見えるが、
長期的にはそれは続かない。
義務感でいくらやっても、
生徒が自主性を発揮しているわけではないからだ。
その話を打ち合わせ時に主催者の方たちにした。
「そのやり方を塾長以外の講師もできるのですか?」
そう質問された。
北斗塾内に存在する講師であっても、
私が考えるレベルですることは難しい、と。
自己流になりがちだ、と。
私はそう答えた。
(続く)