先日(金曜日)のことだ。
例のSくんとの会話。
「先生、土日の宿題は?」
「何、土日?」
「やるんですよね、宿題」
「いや、やらなくていい」
「えっ、やらなくていいんですか?」
「ん、やりたいの?」
「いや…、そういうわけじゃ…」
「別に…しなくていいよ」
「何でしなくてもいいんですか?」
「はぁ、できるの?」
「〇〇先生のときは、だって…」
〇〇先生とは前任者の講師のことだ。
「やりたいならすれば…」
「…、しなくていいんですね?」
「平日だけすればいいよ…」
「え、それでいいんですか!?」
「あのね、やりたければすればいいよ」
「…」
そして今日(土曜日)。
「先生、昨日宿題していません」
「あ、そう」
「『あ、そう』って…」
「何?」
「え、怒らないんですか?」
「怒る? なぜ?」
「え、それは…」
「何?」
「いえ…やってないんですけど」
「じゃあ、今からすれば?」
「え、今からすればいいんですか?」
「いいよ、それで」
自分の席に戻ったSくん。
こちらが黙ってみていると、
座るや否や、
「よ~し!」
と小声で言って袖をまくった。
そして一心不乱に、
問題(昨夜するべき宿題)を、
やり始めた。
本人は昨夜宿題ができなかった理由、
それを私に隠したままだった。
別の女性講師がいて、
「塾長、今夜は宿題できませんよ」
と私に助言してきていたのだ。
昨日の昼の時点で。
Sくんは昨夜は用事があったのだ。
それはお母さんとの映画と食事。
まあ、それが宿題をやらなくていい、
「正当な理由」にはならないのだが。
では、
いったい彼は私に何をしたのか?
それは私を試したのだ。
宿題をやってこない自分を、
怒鳴るのかそうでないのかを。
ここが肝心なところだ。
講師が感情的になって、
塾生に問い詰めたり、
強制的にやるように指示したり。
そうやって仮に勉強しても、
その生徒は「自立型」にならない。
成績は一時的に上がっても、
そんなものは、
長期的に見ればまるで意味がないのだ。
こちらは、
大学受験の合格を見据えている。
目先のことも大事だが、
「自立心」を育てる指導の実現の方が、
10倍大事だ。
(続く)