昨日は日曜日。
例のごとく、Sくんである。
土曜日は塾に来て黙々と勉強した。
が、
日曜日になると…、
彼のいる場所は「塾」ではない。
彼がいる場所は「自宅」である。
ここがポイントだ。
Sくんは素直なところがあり、
「ここをやるといいよ」
と言えば「はい」と答える。
そして、実行する。
だがこれは「塾」にいるときの話。
自宅に帰るとやりたい放題。
昨日(日曜日)は朝方4時30分まで、
ゲームをしていたらしい。
つまり自宅に戻った瞬間に「我(われ)」に返る。
自分の欲望のままに動く。
なぜならそれが、
「気持ちいい!」
からだ。
「気持ちいい」からやりたい、
止まらない。
「楽しい」からやりたい、
止まらない。
お母さんが途中で心配して声をかけたが、
「わかったが!」
と言ってそのままゲームをしたそうだ。
そして今日。
当然だが睡眠不足できつい。
そこで、
担当講師がしばらく休ませてあげた。
眠くて勉強できないから。
なぜ「塾」では努力できる生徒でも、
「自宅」ではやりたい放題なのか?
答えはカンタン。
「塾」には私(塾長)が存在していて、
「自宅」には母親だけが存在しているからだ。
男の子は中学生や高校生になると、
母親の言うことはたいてい聞かない。
そこで父親の出番となるのだが、
父親が仕事で忙しすぎたり、
出張していたりすれば、
タイミングよく息子に向かい合うことが、
できない。
そうなると、
体格的にも体力的にも勝る男の子は、
母親に「対抗」できるというわけだ。
「勝てる」と思っているから。
じつはSくんはお母さんに対して、
勝てるとか勝てないとか、
おそらくそんなことは思っていない。
根が優しい子だからだ。
そこにあるのはただ、
「ゲームがしたい!」
「楽しい!」
「気持ちがいい!」
という快楽だけだ。
ということで、
今日は彼に1時間程度(もっとかな…)、
話をすることになった。
本来これは父親の役目だが。
こちらが彼を預かっている時間帯は、
こちらが管理者であり監督者であり、
責任者であるから、
指導をする。
結局はこれが難しいからこそ、
「塾に自習に来いよ」(塾関係者)
というささやきが有効となり、
それを「売り」にする塾が出てくる。
そして、
「塾に(自習できるなら)行きなさい!」
とわが子を塾に追い出す母親が誕生する。
これは、
問題の本質から目を背ける母親と、
それを利用して生徒を、
塾依存にしようとする塾側の、
共同作業だ。
それでわが子の「自立心」は、
本当に育めるのだろうか?
(続く)